【育児】出産エピソード ~ こんな陣痛ウソでしょ!? ~

育児
出産エピソード

出産は人生最大のイベント!?

出産は女性にとって人生最大のイベントです!これは間違いないです!!

その人生最大のイベントをパートナーと一緒に迎えようとヒプノバーシングを受講し、着々と準備をしていましたが、実際は想像のはるか上をいく、壮絶な体験でした。。。

40代の出産レポート

20代だろうが30代だろうが40代だろうが、出産はどれも素晴らしく唯一無二の出来事ですが、体力的な問題からか40代の出産は、20代は30代の出産に比べると結構過酷な物なのではないでしょうか。

そこで、40代で初産を迎えた私のリアルな体験をご紹介しようと思います。

よくある「出直してね」パターンを経験

出産に向けて病院からどのような状態になったら病院に来るのか、という説明を受けます。

そこでは「陣痛の間隔が10分を切ったら来てください」と言われるのが一般的です。

私が通っていた東京医療センターでも同じで陣痛間隔が10分を切ったら行くことになっていました。

私の陣痛が始まったのは真夏の夜遅く。。。
満月・新月の日や夜というのは出産が起こりやすいというのは有名な話です。

私の場合は満月や新月ではなかったのですが、夜遅くの陣痛で、最初は「うーん痛い」程度で我慢もできたのですが、数時間後の明け方には「いったーい!!!」

『こんなの我慢できるのか?私?』

と思いつつ、陣痛の間隔を計っていました。
病院が開く前の午前7時には10分間隔くらいになったので、いったん病院に電話。

この時、事前に説明が合った通り「自分で」電話をかけて状況を説明しました。

まだこの時には、陣痛の間隔も遠いので自分で的確に質問にも回答し、状況を説明することもできました。

私の話の様子から、助産師さんの指示は「病院が開く時間に入院の準備をして来院するように」とのことでした。

朝8時半前に陣痛タクシーを呼んで、いざ東京医療センター産婦人科へGO!

着いたとき、どうやって産婦人科のある5Fまで行ったのか覚えていませんが、ナースステーションで状況を改めて説明しました。

そこから(痛すぎて)いったん意識が飛んでしまっているのですが、助産師さんのお話では「まだ子宮口が開いていない」ということで、

「まだまだ時間が掛かりそうだから、いったんお家に帰って休みましょう。また10分切るくらいになったら来てくださいね」

とのこと。。。
内心『これか、追い返されるパターン』と考えつつも、仕方なく一旦帰宅。

それからがなかなか陣痛の間隔が狭まらない。
夜出産が多い反面、昼間は出産しにくい傾向にあります。

そんなこんなで夜までだらだらと10分から30分間隔の陣痛のひたすら耐えるのみ!
そして2回目の夜が来た。

夜になると、また陣痛の間隔が狭くなり10分を切り始めました。
しかし、一回目の失敗があるので、ここではひたすら耐える耐える耐える!

テニスボールを握りしめ、パートナーにヒプノバーシングでならったマッサージの方法で背中を撫でてもらったり、手を力いっぱい握ってもらったりしながら、ひたすら陣痛の間隔が8分を切るのを待っていました。

そして2日目の朝、再度病院に電話。。。

今回も自分でしっかり理路整然と前回追い返されたことも含めて説明しました。
すぐに病院に来るようにとのことで、またまた陣痛タクシーを呼んでGO!

ところが今回の陣痛タクシーときたら、事前に病院もすべて登録してある陣痛タクシーにも関わらず、病院がわからないときた!(怒)
全く逆方向に走り出したため、最初はパートナーが「運転手さん違います!後ろ後ろ!逆です」と説明していましたが、左折出来るところで左折せずそのまま真っすぐ走ったため、痛みで怒り倍増のわたくしときたら、ついつい「うしろだってば!(怒)」と怒鳴ってしまいました。(多分20年ぶりくらいに怒鳴ったな)

自宅から東京医療センターまでは車で5分の一本道。すぐに着くのに、この陣痛タクシーときたら遠回りして時間が掛かり、30時間ほど陣痛の痛みに耐えている私としては永遠かとも思われる時間でした。

まだ病院が開いていない時間だったため、横の救急入口から入ってすぐに5Fへ。

診察室で診察してもらった結果、まだ子宮口の開き方が足りないとのこと。
『まさか、2回目の帰宅指示?』
と恐れていたら、
「このまま入院しましょう」
とのことで、そのまま4人部屋に入院することになりました。

いざ分娩室へ

半日は4人部屋で痛みと戦っていましたが、他に入院していた方は、すでに出産を終えられた方か帝王切開で手術することが決まっている方だったらしく、悶絶しているのは私だけ。

5Fに轟く妊婦の雄叫び!

さすがに先生も助産師さんもうるさいと思われたんでしょうね。

お昼の診察が終わったら「そろそろ分娩室に移動しましょうか」とのことで、動けるタイミングを見計らって第3分娩室という一番奥の分娩室に移動となりました。

ここからが長かった。。。

分娩室には、バランスボールや前かがみで抱き着いて座割ることが出来る椅子、ソファー、冷蔵庫、テレビ、CDラジカセなど、必要な物はすべてそろっていました。

いざ出産!っとなってきたため、ヒプノバーシブで習ったリラックスとイメージトレーニングに入るため、もらったCDをかけて自分の世界に入っていきます。

でもやっぱり「いったーい!!」

『あ、ダメダメ!ヒプノバーシングで習ったリラックスする呼吸とイメージに集中せねば』

と思いつつ、痛みと戦い続けました。

そんなことを繰り返していると、7分間隔から5分間隔くらいに短くなっていた陣痛の間隔が、だんだん間が空いてきて、気が付いたら30分間隔くらいまで広がっていました。

夜の診察でも、「やっぱり子宮口がひらいていませんね~」と言われて、夜に突入。
すると、また陣痛の間隔が5分間隔くらいになってきました。

パートナーにもヒプノバーシングのリラックス法に従ってマッサージをしてもらったり、一緒にイメージトレーニングをやって、なんとか痛みを逃がしていましたが、私もパートナーもほぼ徹夜状態で朝を迎えてしまいました。

陣痛開始3日目の朝

朝には二人ともぐたったり。
パートナーも徹夜で結構疲れていたようですが、私に比べたらまだマシなはず。

と思っていたら、また陣痛の間隔が開いてきました。
朝ごはんは何を食べたのか、ごはんとお味噌汁があったのは覚えていますが、食べたのかどうかもよく覚えていません。

結果、3日目も何の進展も無し・・・

一日中、痛みと戦いながら、ヒプノバーシングのリラックス法を思い出してイメージすると陣痛の痛みも耐えられるくらいになる、を繰り返し、夜になりました。

陣痛開始4日目

4日目になっても子宮口が少し開いてきているという診断ではあったものの、まだ赤ちゃんが出てこられるほどではない、とのこと。

隣や隣の隣の分娩室では、私と同じく聞いたこともないような悲鳴、罵声、絶叫、雄叫び、これが人間から出る音声か?と思われる妊婦さん方の出産状況が手に取るようにわかる音声が繰り返され、しばらくすると静かになる・・・ということが繰り返されていました。

私一人で分娩室をこんなに長時間占領していて良いのかしら?と思いつつも、開きかかった子宮口と、襲い掛かる陣痛で、そんな遠慮は吹き飛んでしまいます。

看護師さんがやってきて、もし入れそうなら陣痛の間隔が長いうちにシャワーを浴びましょうということで、分娩室の近くにあるシャワールームでシャワーをし、いったん気持ちもさっぱりリセットしました。

そして、また夜が・・・

実は、この時点で気づいていなかったのですが、丸一日お手洗いに行っていませんでした。
痛みがひどすぎて、トイレに行きたいということすら忘れていました。

実際、まったくお手洗いに行きたいと思ってもいませんでした。

陣痛開始5日目に突入

夜間は陣痛の間隔がかなり短くなってきました。

大体長くて5分、短くて2分くらいで、息をする間もないくらいになってきました。
それでも、やっぱり子宮口が開き切れておらず、赤ちゃんが出てくるには狭すぎるとのこと。

ここまで来ると、パートナーも夜間はソファーで仮眠をとっていても、私の痛みによる叫び声で夢遊病かゾンビのように、ゆらゆら左右に揺れながらも、必死でマッサージをしようと(心は)駆け寄ってくれました。

知人で、陣痛開始から5日かかって、最終的に陣痛促進剤を使用して産んだというお話を聞いていたため、『夜が明けたら陣痛促進剤を使うのかな。。。』なんてことを考えたりしておりました。

朝が来て、体力もだんだんなくなってきた時に、何となく『トイレ行きたいな』と思っていました。

陣痛の間隔があいているときに、パートナーに付き添ってもらって、分娩室に付いているお手洗いに入りました。

ところが、気持ちはトイレ行きたいはずなのに、全く出てこない。

???

トイレ行きたいのに、出ない・・・

パートナーに正直に話をしたら、すぐに看護師さんにそのことを伝えに行ってくれました。
看護師さんが、様子を見にきてくれて、とりあえず診察室へ。

そこで、子宮口が開いていて赤ちゃんが下りてきているため、尿管を圧迫してしまい出ないとのこと。

仕方がないので、直接管を通して出してしまえ!ということで、恥ずかしい気持ちでいっぱいながら、処置をすることにしました。

そのとき、体内には800cc以上も溜まっていたらしく、終わったらかなりスッキリしました。(笑)

そうこうしていると、また夜がやってきました。

もう体力は限界に近く、夜の短い陣痛の間隔に耐えられるのか?と不安になりながらも「出産やめる」というわけにもいかず、ヒプノバーシングのイメージトレーニングをしてひたすら時間が過ぎるのを待つばかり。朝が来れば間隔は長くなる!と趣旨が変わってきていました。

出産の痛みを「鼻からスイカが出る感じ」といったりしますが、私としては「巨人に体と脚を引きちぎられるような痛み」というか「腰をめがけて巨大な岩が落ちてきてぶつかるのを繰り返す痛み」といような感じです。

ヒプノバーシングを習っていなかったら、もっと痛かっただろうなというのは自分でも分かります。本当にヒプノバーシングを習っていてよかったなと思いました。

そして朝が。。。

陣痛開始6日目目

朝の診察の時には、意識も朦朧としていました。

そりゃそうでしょう、もう5日間も寝てないうえ痛みと戦っているんですから!

朝の診察が終わって、やっぱり赤ちゃんが出てこられるだけ子宮口は開いていない、と言われたとき、『やっぱり陣痛促進剤?』と思っていたら、パートナーだけが先生に呼ばれてお部屋の外に出ていきました。

「何なに???」

と思って待っていたら、パートナーと先生が戻ってきて、

「もう体力も限界のようですし、このままだと赤ちゃんも弱ってきてしまうので、帝王切開に切り替えましょう」

とのこと。

「え?」

と思っていたら先生から、自然分娩も帝王切開での出産も、どちらも同じくらい大変で、帝王切開だからといって親として我慢が足りなかったとかそういう問題ではない、今は赤ちゃんの安全とお母さんの体を一番に考えることが必要な時、というようなことを優しく説明頂きました。(意識が朦朧としていたので言葉使いは曖昧ですが、内容なこんな感じ)

そこからが早かった。

看護師さん達が入ってきて、手術の説明や各種同意書にサインをして、血液検査をして着替えてとしていたら、また先生が入ってきて、血液検査の結果を説明して下さいました。

その結果、母体があり得ないくらいに疲労していて数値的にエラーになるくらい振り切っていたとのこと。つまり、このままでは弱っていくだけで、出産には耐えられない(=母子ともに危険)とのことでした。

『だったらもっと早く教えてほしかった』

という思いがなきにしもあらずでしたが、これで赤ちゃんに会える!というのと子の痛みから解放される!という思いで、『早くして~』と思っていました。

あっという間に手術室に連れていかれつつ、先生の名前や担当の助産師さんの自己紹介、麻酔科の先生の自己紹介のあと、横向きになって背中に麻酔を打っていきます。

「痛いですが我慢して下さい」と言われていましたが、『そんな痛み屁でもない!なんたって、こっちは6日間も陣痛という痛みと戦ってきたんですから!』と思っていたら確かに「ずーん」とした痛みがありました。

その後、手が動くかとか声が聞こえるかみたいな検査をされながら手術台に乗せられ、胸のあたりに小さいカーテンみたいな濃いグリーンの布を掛けられ、さっさとお腹が切られていきます。

当然ながら全く痛みは感じません。内臓がなんだかおかしな感じはしましたが、何がおかしいかもよく説明できません。

むかーしよんだ「動物のお医者さん」という漫画の中で、菱沼さんというちょっと変わって女性が盲腸の手術をするときに、手術用のライトに映った自分の内臓を見ていた、というシーンがあったことをぼんやりと思いだし、『赤ちゃん見えるのかな?』と思って上のライトを見てみましたが、鏡のようにはなっておらず、ざらざらした鏡のようになっていたため、見られませんでした。

この話をすると「ウソでしょ!」と言われますが、手術の時にはそれくらい冷静になっていたんです。

すると突然、

「あぎゃー!!!」

と何とも言えないやわらかい叫び声のような鳴き声が聞こえ、

「あぎゃっ!あぎゃっ!あぎゃっ!」

と続けて赤ちゃんらしい声が聞こえてきました。

助産師さんが赤ちゃんを取り上げて(たぶん)体を拭いたり体重を計ったり、体調を確認している間、自然と涙があふれてきました。

その間、先生はぎゅーとお腹の皮を引っ張りながら、チクチク縫い合わせてくれていたんですけどね。(これも感覚はありました)

助産師さんが

「おめでとうございます!」

と言いながら、赤ちゃんを連れてきてくれて、顔の横に寄せてくれた時には、安堵なのか何なのかわかりませんが、ありがとうと言いながら泣いてしまいました。

まあ、今冷静に考えると出産という一大イベントを乗り切って、アドレナリン出まくりだったのが落ち着いてきたためだったのかと思います。

その後、一旦赤ちゃんを詳しく検査するため助産師さんに預けて、私は手術(お腹の縫合)を終わらせました。

陣痛開始から6日目のお昼のことでした。。。

その後、やっと赤ちゃんに会えたのは、手術後に個室に移ってからでした。。。

出産の後も結構な地獄を見る

一般的な自然分娩の場合、後産といわれる悪露が出るまでは結構いたかったりするらしいのですが、私の場合は帝王切開による手術なわけで、当然15センチくらいの切り口があるんです。

傷口は紙テープみたいな手術用のテープを切り口に対して垂直にびーっちり貼ってあります。

傷口が開くことはありませんが、やっぱり切り口がそこそこ大きいので、出産後も傷が痛いこと痛いこと。

それでも、2日目からは内臓の癒着を防ぐために「動いて下さい」と言われ、手術時に麻酔を打った背中に直接つながっているチューブを通して麻酔を入れながらも、歩き回らないといけないという状況。

普通に出産していたら、こんな痛みはないのか・・・と思いつつも、とにかく無事赤ちゃんが産まれてくれたことを感謝しました。

その後、麻酔が切れたら更に地獄。痛み止めを飲んで後は自然と良くなるのを待つばかり。

傷は時間を掛ければほとんど見た目もわからなくなるくらい綺麗になります。ということですが、私の場合、注射針の後さえケロイドになってしまうほど肌が弱く、以前簡単な手術で切ったところもしっかりケロイドになってしまっているため、期待はしていません。

それでも、日が経って少しずつ綺麗になってきています。

出産は100人いれば100通りある

帝王切開は楽な出産とか、自然分娩した方が赤ちゃんにとってよい、とか色々言われる方もいらっしゃいます。

それがその方の考え方なので、特に申し上げるつもりはありません。

ただ、実際に出産を経験した私が言えることは「出産は命がけ、100人いれば100通りの出産がある」ということです。

何が良くて何が良くないとかではなく、赤ちゃんがこの世に産まれてくるため、一番苦しいんでいる時間が陣痛の時間であり出産までの時間です。

この世に与えられた小さな命が一生懸命頑張っていることを「良い・悪い」という概念で語るのではなく、色々な赤ちゃんがいるんだなということです。

男性はどんなことをしたって、今のところ赤ちゃんを産むことは出来ません。

どうか、妊婦さんをみたら、優しくしてあげて下さい。

彼女たちは、これから命を懸けて赤ちゃんを産むという一番大事な出来事を控えているのですから。

だいぶ長々書いてしまいましたが、これが40代の初産を迎えた私の出産エピソードでした。

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