結論!夢を実現したいなら細胞レベルまで想いを浸透させろ
これに尽きると思います。
漠然とでもいいけれど、「こうなれたらいいな」とか「こんなことしたい」と思うのであれば、その時は漠然とでもいいけれど、それに向かって何かしら努力をし続けたり、想い続けることが大事だなと思います。
365日24時間体制で夢の実現に向けて何かをし続けろというのではなく、心のどこかに憧れを持ち続けたり、その夢に向かって今の自分に出来ることをするというのは、一番の夢の実現の近道なんだということです。
夢を信じていたら実際に何が起こったか
私は「夢は寝てみるもので語るものではない」なーんてかっこいいこと言うつもりは更々ありません。
なんせ私自身常に「ああ、こんな素敵な家で暮らせたらいいな」とか「こんな仕事ができるといいな」とか邪念を持って生きているので、夢見たっていいじゃないと思っています。
私も今まで周りからも「絶対に無理!そんな夢みたいなこと言ってないで現実を見なさい!」ってことは、嫌ってほど言われてきているので、そんな時は「別に私の勝手な考えなんだからいいじゃない。ほっとけ」と思ったりしていました。
が、実は意外と実現できていたりするんですよね。
そこで、私が実際に「お前には無理だ!」と言われいたのに、気が付いたら実現していた具体例を(どうでもいいとは思うけど)ご紹介してみます。
絶対に受からないからランク下げろと言われた高校受験
私の通っていた中学校は、「先生も生徒も掃き溜め」と言われるような、いわゆる荒んだ中学校でした。
よく冗談で話していたのが「少年院に行くか○○中に転校するかで仕方なく来た」と言うような不良と言われる子供の多い中学校で、中2や中3で出産している子も何人もいるような学校でした。
そんな中学校で、私の成績は中の上くらい。プロフィールを読んで頂ければわかりますが、私の姉は神童と呼ばれるくらい頭の良い子で、それに比べると私は月とすっぽん、すっぽんでも泥の中に沈んだまま出てこられないくらいのレベルでした。
なので、姉の進学した高校にはどうあがいても合格するわけがないといわれ、中学校の恥になるからレベルを落として入れるところに入るようにと進路相談でも脅しに近い指導を受けていました。
そんなことを言われたら、当然ながら反抗するに決まってますよね。なんたって思春期の真っただ中なんだし。言われたことにはとりあえず反対のことをする、ってな感じで進路指導を無視して、無謀にも受かるわけのない高校を受験しました。
合格発表当日も、自分が受かっているわけないわな、と思っていたのでそのまま友達と遊びに行くつもりで一緒に発表を見に行きました。
そしたら、なんとあるではありませんか!私の受験番号が!!
絶対あり得ないと思っていたので、念のために一緒に遊びに行こうと思って付き合ってくれた友達にも確認してもらいましたが、夢ではない様子。
これには本人が一番驚きました。
何と言ってもいまだに歴史に残るくらい、合格ラインを100位以上下げて、500人中30位くらいまでの人しか受からなかった合格ラインを150位くらいの私が受かってしまったんですからね。
まあ、進路指導をした先生も、その他の先生も「あり得ない」と言うような目でみてましたよ。公立高校なので不正のしようもないし、ほんっとに自分自身が一番驚いているので裏から入ったわけではありません。
ただ、他の人と違っていたのは「どうしてもその高校に入りたい」という思いは強くて、当然受かるであろうといわれていた生徒よりか、最後の踏ん張る力が強かったのかなとは思います。
馬鹿は馬鹿なりに勉強して、台風の日も洪水の日も、塾だけは休まず続けていましたしね。
その塾の先生がとっても良い先生だったことも救いです。学校では姉と比較して常に馬鹿クズ扱いだったのですが、その塾の先生は「分からない」といって聞きに行くと、とことん向き合って教えてくれていましたし。
ちなみに、その塾でもクラスはBクラスという下の方のクラスでした。
なので、高校に合格したことは、一番に塾の先生に報告に行きました!(笑)
「こんな素敵なオフィスで働きたい」と思った学生時代の忘れていた夢
高校も卒業し一浪したあとで高田馬場にある某有名私立大学に合格して状況した時、当時は羽田空港から都内にアクセスするにはモノレールしかありませんでした。(時代がバレるけど)
そのモノレールで羽田空港から浜松町に向かう途中、もうすぐ浜松町というあたりに素敵なオフィスビルがあって、当時のトレンディドラマ(今ではこんな言い方さえしないけど)では、良く撮影に使われていて、とにかく素敵なオフィス!と言う感じだったんですよね。
「さすが東京ってすごい!」と思いつつ「いつかこんな素敵なオフィスで働けたらいいな」と漠然と思っていたのですが、そんなことは毎日の生活の中ですーっかり忘れてしまい、生きることに精一杯の日々でした。
こちらもプロフィールを見て頂けると分かるのですが、大学時代は本当に激動の時代という感じで、就職もまともな就職とは言えない状況だったのですが、一応社会人として働くようになり、その後も転職をして自分のスキルと年収をアップさせていました。
そんな転職先である3社目の会社が、オフィスが手狭になったということで移転することになりました。
その転居先が何と学生時代にあこがれていた浜松町近くの「トレンディドラマ系オフィスビル」だったのです。
正直転居して始めて「あ、このビルあの時良いなと思っていたビルじゃない!」と気が付くくらいに忘れていた漠然とした夢のオフィスです。さらにいうと、実はこのオフィスビルとは縁が強くて、海外に移住して戻ってきた後、個人で仕事をし始めたときの契約先の会社もこのオフィスビルに引っ越すことになり、結局このビルには6年以上通ったのでした。
海外の憧れていた家に住んでる自分がいる
就職して間もないころ、よく若い女子が憧れる「いつか海外で生活したい」なーんて夢を、私自身も憧れていました。
中の良い同い年の同僚は「そんなの出来るわけないじゃない。現実を見なよ」と軽くあしらわれていましたし、私自身もあるわけない、と思っていました。
ただ、日本だけではなく海外の不動産も見るのが好きなため、暇なときはネット検索して日本も海外も色々な物件を見て「いいなぁ」と暇つぶしをしていました。
そんな中で、NYにある30万近い物件と、フランスの田舎にある10万円位なのに広くて素敵な物件とは印象に残っていました。
なんだかんだで人生をダラダラ過ごしていたある時、会ったこともない外国人と気が付いたら結婚することになって、さらにはその外国人のお国に行かないといけない状況になっていたのでした。(くどいけど、これもプロフィールを読んでね)
怒涛の準備の中、現地で済むところもないのでとにかく物件探し!
不動産やに勧められた家の中に、何と数年も前にみていた「フランスの田舎にある10万円位なのに広くて素敵な物件」があったのです!
そもそも、外国人と結婚することも、海外に移住することも、その移住先の海外がピンポイントでその田舎であることも、夢見ていた当時はまーったく知る由もなかったのです。
それが、気が付いたら憧れていた家に住むことになるとは、本当に信じられない出来事でした。しかも不動産やは、その物件が前日に空いた物件で、それまでは何年も、つまり私が良いなと思って見たとき以来、空きが出なかったらしい。
私の夢が夢で終わらなかった理由は?
漠然と思っていたことでも、ただの憧れでも、やっぱり気が付いたら夢がかなっていたわけですが、私も何もしなかったわけではないんですよね。
例えば、受験にしてみたら「お前じゃ受かるわけない」と馬鹿にされつつも、一応勉強は頑張ったわけだし、あこがれのオフィスで働けるようになったのは、そんな素敵なオフィスに入居するレベルの割と世間的に知られた会社で働けるようになるためにスキルを磨いていたわけだし、結婚だって「国際結婚」なんてあまり考えないようなことも、自分のスキルアップをしつつ自力で切り開いた未来なわけですよ。
憧れたり夢見たりするのは、ふとした瞬間だったり短い期間かもしれませんが、そうなりたいと思ったことのためには、日々なにかしら見えない努力をしていたんですよね。
それが、自分自身でも努力と言うのか、当たり前のことというのかは分かりませんが。とにかく、「当たり前」と思えるくらいまでや率付けていたことだけは確かです。
夢を実現するための具体的な方法
最初の結論に書いた通りだと思っています。
本当にそうなりたいのであれば、やっぱり必然的にそのための努力はしないといけない。
イチロー選手だって、メジャーで殿堂入りするために小さいころから毎日努力し続けていたわけだし、サッカーの中田選手はイタリアでプロとして活躍することを夢見て、有名選手になる前からイタリア語を勉強していたんです。
夢を叶えるためには、やっぱりそのために必要なことをコツコツ努力していかないといけないってことですよね。そして、何より自分自身がその夢が叶うと信じることも必要なんじゃないでしょうか。
自分の夢は叶うんだと心底信じて細胞レベルまでそれが当たり前と思い込んでいたら、心もそのためのマインドとなっていくし行動もそのマインドに従って変わってくるものですからね。
まずは、細胞レベルまで「夢が叶うのは当たり前」と自分自身を信じ込ませてみて下さい。
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