Abbyとは
はじめまして、当サイトを運営しているAbbyです。正式名称はアビゲイル。分かる人にはわかるかも、そうアメリカのドラマNCISの「Abigail Sciuto」から頂いた名前です。
で、Abbyはというと、茨城県で産まれてまだ小さいころ、野犬狩りに合って保健所行き。あと数日で殺処分になるところを神奈川県の保護団体の一つで活動してる、某動物病院の先生に運よく助けられて、川崎へ・・・
というのは実物Abbyであるワンコの話。
私は、サイトのディスクリプション(概説)にある通り、座右の銘は「死ぬこと以外かすり傷」と言いつつも、実はガラスのハートでしょっちゅう砕け散ってはアロンαで接着する日々をおくる40代の選択型未婚シングルマザー&極小会社経営者です。
Abbyの経歴
正直、経歴と自信を持って言えるものはあまりありません。
人生の経緯を説明すると、こんな感じ。
子供時代
厳格かつ異常な潔癖症のO型の父親と、大雑把で超前向き、何故か常に人に頼りにされて誰かの赤の他人を含めて常に誰かのお世話をし続けているA型の母親との間に生まれた二女。
生後数日で全身を覆うアトピー性皮膚炎で病院に担ぎ込まれ、生きている間中アトピーに悩まされるスタートを切る。
3歳くらいから病弱であることが判明し、常に何かの病気を治療中という虚弱体質。
7歳で現在も難病指定されていて治療薬も無いという病気を突然発症。
そのとき、小学校で突然ひざの痛みとともに足が動かなくなり帰宅し、そのまま湿布を貼って様子を見たところ、翌日湿布の後の通りに紫斑が出たため母親が知人である皮膚科(父親曰くヤブイシャ)に行ったところ、
「まだ病気になったばかり、いわゆる早期発見です。ただし、この病気は早期発見だからと言って直るわけではなく・・・(分厚い学術書を取り出しぺらぺらめくり説明しだす)嗚呼なってこうなって・・・うんたらかんたら・・・、で最後に死に至ります。なので今からすぐに大学病院に行ってください。」
と、7歳児を目の前に母親に向かって「この子は今から死にます」宣言をされました。(だからヤブイシャっているのかしら?)
まあ、すぐに大学病院に連れていかれ、家に変えることなくそこから入院生活開始。いつ死んでもおかしくなかったため、お部屋はナースステーションと直結で24時間監視。まるで囚人。
奇跡的に命を取り留め、小学校にはほとんどまともに行けず。当然出席日数が足りないため留年するところ、さすがにかわいそうと思った学校との話し合いの結果、自宅で補講を受けて何とか卒業。
その間、頭はキレるは芸術的センスは音楽でも全国コンクールに出るのが当たり前、美術の時間に適当に描いた絵は教科書に採用される、作品を集めた書籍まで出版されるような神童といわれる長女との間に、中学の教師や学校関係者だけではなく、母親以外の親せき一同からも区別というなの差別を受け、人生の成功者と底辺でただ生きているだけという自分という明らかな生物としての違いを感じる。
当然、長女は有名高校の進学を周囲からも望まれるも、1ランク下の自分の行きたい高校(と言っても有名な進学校)に進学。Abbyはと言うと、生きているだけで精いっぱいで、差別のなかでとりあえず生き続ける。まあ、母親が本当に明るくできた母親だったので、母の愛に救われたってやつですね。
高校受験のときには、長女と同じ高校に行けるレベルの頭脳が無いにも関わらず、どうしてもあきらめきれずにとりあえず記念受験。
誰か可哀そうな本番に弱いタイプの人がいたのかわかりませんが、なぜか奇跡的に合格してしまい、中学校ではその学校に進学した卒業生の中で、今でも伝説になるくらい最低合格ラインを狂わせました。
まあ、高校時代はやっぱり底辺の学力で2年生ごろまで過ごしていたのですが、物理で50点満点中3点、数1で50点満点中5点という、ある意味スゴイ点数を叩き出し、さすがに理数系は無理だと思って私立文系に切り替えたところ、びっくりするほど成績アップし、ちょっとだけ底辺から下の中くらいに好転。
とはいえ、その進学校は文武両道がモットーで、とにかく3年間しっかり部活してあそんで青春を謳歌して1年浪人して良い大学に進学していくような、ちょっと変わった進学校だったため、Abbyも仲良く1浪決定!
1年間はまじめにみっちり勉強しました。
人生2回目の死を自覚する
合格した大学は、高田馬場にあるいわゆる有名私立大学の一つのW大学。
男くさい貧乏くさい学校ではある物の、一応有名私立で高学歴と言われる部類の大学で、早く実家から出たいとおもっていたAbbyとしては、厳しい父親を納得させるためには、そのくらいのところでないとダメだろうということで、頑張って勉強して掴んだ大学生活でした。
そのころ、地方公務員の父親は安定収入はあるものの、プライドが異常に高く良いもの好きで、海外旅行も自分と友人ばかりでいってお金は裕福とは言えず。
神童といわれていた長女は、高校で遊びすぎて受験に失敗。浪人してもどこにも行けず、人生でずっと馬鹿にしてきた妹であるAbbyに抜かれたという敗北感からか、輝かしい未来を失い、親にたかって生きていたため、実家は私の学費を払うお金もカツカツの状態。
そんなことを見越していた母親は、Abbyが高校になるころから某証券会社で働き始め、全国TOP10に入る売上げ成績を数年間連続で叩き出すという偉業を成し遂げていたため、プライドの高い父親には絶対に言えない金額を稼いてこっそり貯蓄しておいてくれました。
そのおかげで晴れて大学生に慣れたものの、母親の苦労を知っていたため、Abbyもフルに合うバイトをして生活費は自分で稼ぐようにしていました。
そのアルバイト先の会社の役員に気に入られ。。。というか異常に好かれたのが運の尽き。セクハラとパワハラという言葉がまだない時代、役員室に呼ばれては、スカートを脱げ、俺の女になれ、言うことを聞かないなら首にする、という強迫を受ける日々。
さらに、自宅の電話での会話を、翌日アルバイト先にいったらなぜかそこの別の部の社員が知っていて、どうしてか聞いても教えてもらえずニヤニヤしているという状態。
ある日、朝目を覚まして起き上がることが出来ず、一日中ベッドの上で過ごしました。2日目も同じ。3日目も同じ。口にしたのはコーヒーだけ。
1週間後、仲の良い近所の友人が、友人達のたまり場になっていたbarに私が全く来ないことを心配してきてくれた時、私は廃人のような状態で、ベッドから起き上がることすらできませんでした。
友人が私をおんぶして病院まで連れて行ってくれたときには、いわゆる摂食障害とうつ病を発症していた状態。
身長は166cmあるのですが、体重は洋服を着たままで35kg、血圧は上が70下が50と、超絶低血圧。血圧の幅がないことがもっと問題だったそう。
で、その時に言われたのが「このままの状態が続けば危ないです」と。
まあ、ぼんやりとした意識の中で「私は死ぬんだな・・・」と自分で感じていましたけどね。
そこから1年以上、たくさんの薬漬けでほとんどまともな記憶がありません。当時のことを友人からも「あのときはやばかったよね」と言われますが、本当に廃人だったらしいですね。
ただし、生きているという実感が出てからは、セクハラ・パワハラをした例の人物を許してなるものかと戦いました。
1年大学を休んだうえ、死にかけたすべての原因に対する責任を取らせるため、しがない学生アルバイトが某企業を訴えました。
労働基準監督署に行き、弁護士を探し、裁判所にも行き、あらゆる証拠を集め、徹底的に戦い抜きました。
最終的には、訴えた企業から示談にして欲しいとの話を受け入れましたが、そのときの経験は今でもある意味自分の考え方に大きな影響を与えました。
社会人になってからの生き方
実は、学生時代は弁護士になりたくて、大学に行きながら専門学校にも通っていました。
先の経験もあり、弁護士になることは自分の使命のようにも感じていたのですが、実際にはダブルスクールだとお金がかかって仕方ない。
そのため、とりあえず就職して安定した収入を確保しつつ、勉強しようと思っていたのですが、就職したのが今はなき山〇証券の子会社のシステム会社でした。
就職と言っても内定をもらっていた状態だったのですが、その年のクリスマスに衝撃的な事件が!(当時はすごかった)
山〇証券会社が倒産したんですよね。バブルがはじけて以来の衝撃の経済ニュースでした。
で、速攻別の会社を紹介されて就職。システムエンジニアとして働きだしたら、システム開発というかプログラミングが楽しくて仕方がなかったんです。
当時のプロジェクトの仲間に恵まれていたため、週6時間しか寝れないくらいの超多忙のプロジェクトだったにもかかわらず、会社に泊まって仕事をし続けていました。
プロジェクトが落ち着いて、自分自身のスキルもついてきたころ、転職して別の会社で仕事を始めました。そこから転職して年収をアップしつつスキルを身に付けるというのか自分のためになると思い、独学で勉強しては資格を取得するという感じでいくつかの資格を取得して、また数年後に転職しました。
3社目の時に、英語の勉強をするために始めた語学Exchengeで知り合った外国人に、猛烈にアタックされて会ったこともないのにプロポーズされてしまいました。(あ、オンラインでは会話してますけどね)
結婚する気はさらさらなく、老後一人で生活するのにちょうど良いくらいのマンションも購入し、悠々自適な生活を楽しんでいたのですが、この外国人がすごかった。
結婚という人生の選択
3社目でも忙しい生活を続けていて、真夜中の2時過ぎにナチュラルハイ&疲労感いっぱいになった時、パチパチキーボードをたたきながら、隣の同い年の同僚に
「なんかさ、変わった外国人に気に入られて、結婚したいって言われてるんだよね」
と言ったら、その同僚が、
「いいんじゃない、結婚したら」
と言ったので、
「そっか」
と言って結婚することにしたのでした。
というか、その時にはその外国人が家も引き払って仕事も辞めて、日本に移住するといってチケット手配して日本に来る前日だったんだけどね。
で、腹をくくったその翌日、一番の理解者である母親に、会社のトイレから
「こんな変な外国人がいるんだけどどう思う?」
と言ったら、うちの母もやっぱりちょっと変わりものなのか
「いいんじゃない?あんたと結婚したいなんて言ってくれる人、世界中探してもいるかどうかわからないんだから、世界中から見つかって良かったね」
との返事。
で、さらに『あ、そんなもんなのか、結婚って』と思って結婚することになりました。まあ、この結婚がこの後の私の人生を大きく変えることになったのですが。これについては、長くなるので割愛します。(どこかで書こうかな)
とはいえ、私の友人たちは全く驚くこともなく「あんたなら、なんか分かるわ」とか「今年一番の笑いだね」と言ってくれたので、まあ良しとします。
フランスに移住&帰国後の生活
一家の大黒柱として私が稼ぎまくっていたのですが、忙しい生活に疲れてきた30代、そんなときに夫となった外国人の親がガンになったということで、お世話をしなければならないことになり、いっそのことフランスに移住してしまえ!となりました。
バタバタしながら、日本のマンションを賃貸に出したり社会保険の手続きをしたり、短期間で移住の準備を済ませて、いざフランスにgo!
この時Abbyは英語しかしゃべれなかったのでフランス語は2週間勉強しただけでとりあえず現地に飛びました。(無謀ですよね。分かっています)
フランスではフランス語が話せないと在留VISAが取得できないため、政府が無償で学校に通わせてくれるんです(今は知らないけど)。そこで、第二の学生生活!超絶楽しかった!
だって、世界中の色々な国から色々な人が集まって、同じ教室でフランス語を勉強するんです。日本人がいなかったので、私としては最高の環境!
休み時間は英語とフランス語でおしゃべりして、家でお菓子を作ってきて一緒に食べたり、色々な文化を学びました。
とくにアフガニスタンとトルコからの移住者が多く、トルコ人のお友達はお料理がみんな上手で色々教えてもらいました。
そんな楽しい生活も夫の親が回復して現金になったころ、夫の方が日本に「帰国したい」と言い出したのです。
イヤイヤあなたのお国はフランスだから「帰国」とは言わないんだ!と言いたいところですが、大の日本好きとなっていた夫にしてみたら、不便で意地悪い人99%で成り立っているフランスで生活するより、便利でみんな優しくて安全な日本で暮らしたいと思ったらしい。
そんなこんなで日本に戻ってきてからは、昔の仕事仲間が返ってくる前から自分のプロジェクトに入らないかと誘って下さっていたこともあり、仕事は決まっていたのですが、自分の購入していたマンションは移住するつもりでフランスに渡るときに賃貸に出してしまっていたため済むところがないという状態。
成田に着いたその足で、スーツケースを持ったまま、フランスから事情を説明して連絡を取っていた不動産会社に直行!
その日のうちに3か所見て廻り、翌日も3か所廻って、住むところを決めたは良かったのですが、いざ契約!となった時に、「住所不定無職」では契約できないといわれてしまい大慌て。
職は決まっています!住所は・・・ないです。フランスの家も引き払っていたし、住民票は国外となっていたため、こればっかりはどうにもできず。
不動産会社に説明して、仕事については仕事が決まっていて取引先から証明書をもらうことで何とかOKをもらい、保証人をつけることで契約しました。
それからまた馬車馬のように働きまくり、とりあえず生活は前よりも色々な意味で豊かになったのですが、そうなると税金が・・・。
さらに、とにかく目立ちたがり屋で何事でも注目を浴びないと気が済まない夫は、自分が校長のフランス語学校を作りたいと言い出したこともあり、個人事業主からしかたなく法人として活動することになりました。
そうはいっても、夫の稼ぎは数万円。私が一人で稼いで全てを回している状態。学校のサイトも全部私が作り、SEOの知識を駆使して検索でもTOPに表示させられるようになり、ちょっとは生徒さんがくるようになったものの、事務はできない学校全体のマネジメントは出来ない経理は当然できないで、私の身体は悲鳴をあげる日々。
そんなときに、日本語が多少話せて白人というだけで、不細工なのになぜだか若い女の子にモテる夫は、私の溜めた会社のお金を数百万も使って別宅をかり、浮気しまくるという最低男であることが判明した。
それでも、なんとか離婚せずにまともな結婚生活を続けられないかと思ったものの、さすがに会社のお金だけではなく借金をしだしたために、離婚を決意。
調停では、私が話をしようとしたら全てさえぎり文句を言いだし、調停員に何度も注意されても変わらずにそんな生活になったのは全て私のせいだといいまくる。しまいには調停員の方々に同情されて「あなたよくやってこれたわね」と女性調停員に言われる始末。
私としては素直に悪かったと誤ってもらえたら、条件なしに離婚しても良いと思ったくらいなのに、そこまで私のせいだといわれたら、さすがに我慢の限界を超えて裁判に突入!
当然ながら、全面的に私の方が有利。それでも50万なら払ってやるという謎の上から目線の示談要求がきて、あきれたくらい。離婚裁判中にも女性が後ろで操っているのが判っていたので、そのあたりもチクチク責めつつ裁判を続けていたけど、さすがに仕事と裁判とで精神的に疲れてしまい、どうでもよくなってきてしまったんですよね。
で、慰謝料を半額以下にしてあげて、離婚を成立させました。
そうしたら、どこまでも最低な元夫は、翌日結婚していました。まあ、ビザが切れて日本に居られ亡くなる直前だったので、どうしても配偶者ビザが必要だったのは知っていましたが、そこまで最低の奴と結婚していたのかと自分が情けなくなってしまいました。
さらに驚くのは、その相手は超お金持ちの働いたことのない若い女の子で、やっぱりお金はそちらに依存しているということ。その女性にお金を出してもらっておきながら、私の借りている会社の同じビルに、オフィスを借りようとしていたため、さすがに全てを知っているオーナーさんがそれは出来ない。と断ってくれて、オーナーさんが持つ別の近くのビルに借りていること。
そのうえ、数百万も私が溜めてきたお金を使い込んだうえ、50万しか慰謝料払わないと言っておきながら、ベンツを買ってもらって乗り回しているという腐った根性。
まあ、フランスで運転してたとき、車を貸してくれた友人もあまりの元夫の運転の下手さに危険だから運転はさせられないといって、途中で運転を変わるくらいのレベルなので、東京で運転できるのか分かりませんが。
というのがフランス生活と帰国してからの生活でした。
近い過去から現在は
先に紹介したとおり、今は選択的な未婚のシングルマザーです。
離婚する前くらいに知り合った人で、大変な時期を支えてくれたパートナーがいるのですが、離婚の大変さを知っているので二度と結婚などしたくない!と思っておりました。
とはいえ子供はずっと欲しかったので、「結婚しなくて良いのであれば付き合います」と言って付き合いだしたはいいものの、子供を埋めるチャンスはあまり長くないだろうと思い、不妊治療をすることに。
とはいっても、未婚で不妊治療というのは当時の日本ではグレーとされていてどこも受け入れてくれなかったため、海外での不妊治療を開始。
働きながら定期的に海外に行き、不妊治療をして・・・という生活は、やっぱり疲れましたね(笑)
1度の流産を経験し、人はこんな風に泣けるんだなと思うくらい泣きましたね。
それでも2度目の妊娠で、ありがたいことに男の子に恵まれました。
今も結婚はしておりませんが、パートナーとも他の家族より仲良しじゃないかと思うくらいの家族です。パートナーも自分でマンションを持っているため、最近は週の半分くらい我が家に通い婚状態。
もう少ししたら一緒に住んでもいいかなと思ってはいますが、結婚はしたくない。そんな私のことを良ーく理解してくれていて、子供と私のことをとにかく大事にしてくれるパートナーは、仕事も某世界的な企業で最年少部長になるくらいの人なので、仕事もできるし面白い人です。
ちょっとのろけも入るけど、子供の世話はオムツもごはんも送り迎えもお風呂も寝かしつけも完璧です。そのうえ、食事の後は、率先して後片付けをしてくれて、私も一緒に片づけようとすると、無理やり手を引っ張ってベッドやソファーに居させられます。
名前のない家事といわれるトイレットペーパーを替えるのも、シャンプーを補充するのも、氷のお水を入れるのも、排水溝のお掃除も、気が付くことはなんでもやってくれます。
ちょっと凄すぎです。
そんな尊敬するパートナーと可愛い息子との不思議な関係を続けているのが最近の状況です。
趣味とか普段の生活は
趣味は旅行ですかね。
一人の時からあちこち海外に行っていました。ホームステイをしたり、現地で仲良くなったお友達とその後も何年も交流して会いに行ったりするのは楽しいですね。
後は、仕事は365日やっています。たぶん仕事が趣味みたいなものですね。
仕事と言ってもシステム系の仕事だけではなく、他にも???と思われるような変わったこともやっています。
自分でも、何が本業かよくわからなくなってきているので、そろそろ整理しないといけないなと思っている次第。
将来的には、システム系の仕事は少し減らしたいと思っているところです。受注なら良いのですが、私の場合はプロジェクトマネジメントや現地でのコンサルが多いので、拘束される時間がちょっと負担になってきているんです。
もう少し安定したら、拘束される仕事はやめたいですね。
つまりAbbyは
ちょっと変わった人間と思われるかもしれませんが、そうかもしれませんしそうじゃないかもしれません。
Twitter上で仲良くなった方々とは、時々オフ会でお会いしたりしております。
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自己紹介だけでこんなに長くなるとは思っていませんでしたが、まだまだお話していないことはたくさんあるので、そのうち記事の一つのネタとしてご紹介していきたいと思っております。
こんな私ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
長文にも関わらず、最後までお読み頂いありがとうございます!